たぬきづき

月夜野たぬこ(書き人)の日々の気づきやら思いやら

2023年から2024年にかけての覚書

2024年1月1日早朝の空

昨年末から年明けにかけて、娘が荒れた。

単にプンスカ怒るというレベルではなく、とある本いわく「強度が桁外れ」な怒りが噴出した。大噴火、大爆発。

BPDあるいはASD(もしくはHSP)という個性を持つ人によく見られる状況(症状といったほうがよいのか?)で、だから、家族や身内に、その個性を持つ人がいる場合は、その様子がわかってもらえるはず。逆に、そうでない場合は、絶対にわかってもらえない。なぜならば、大噴火、大爆発を見せるのは、家族や身内でも特定の人に限定されるからだ。外では絶対に見せない顔だし(決して否定的に言うのではなく事実として)、娘に限っていえば、その激しさを知っているのは、現在は、わたしを含めてふたりだけだ。

 

このような症状を見せるようになったのは、2017年ごろからだから、かれこれ7年になるんだわ。当時、その怒りをぶつけられ、浴びるのは、わたしひとりだった。そして、その怒りはわたし(わたしの言動やあり方)に向いていた。

罵倒され、モノを投げつけられ、どう対処してよいのかわからず、時には取っ組み合いのようなこともしながらの試行錯誤の日々。神社のお祓いにも、お寺さんにも出向いたよなあ(遠い目)。もう八方ふさがりで、「このままでは、自分が精神的にダウンする」と追い詰められてたどり着いたのが、そのような家族を持つ人の勉強会だった。

2018年の末にその会に参加することを決め、2019年の1月から、月に1度、通うようになった。すがる思いだった。そのときから数えると、この1月で5年目に入るんだね…。

 

5年の変化は、それなりにあった。

まず、わたし自身がどんなふうに娘に向き合えばよいのかを学び、少しずつ身につけていった。もちろん、一朝一夕にとはいかず、3歩進んで2歩さがり、浮いては沈みの繰り返し。その間にも、何度も大爆発があり、険悪にもなり……それでも、振り返れば、自分自身が変わったことは自覚できる。それにつれて…なのか、少しずつ娘も変わっていった。

とはいえ、BPD、ASDHSPの特徴とされる中のいくつかを持ってはいるから、ふとした刺激(接した人の言葉だったり態度だったり)で、感情は桁外れの強度で爆発する。家族の勉強会では、よく「地雷を踏む」というたとえが使われる、そんな感じ。

 

そんなふうに過ごしてきた2023年暮れから2024年にかけて、娘は桁外れの強度の大爆発をした。そのきっかけとなった出来事は、たとえば自分が受けたとしても気持ちのよい出来事ではなかっとはいえる。だけれども、きっと多くの人は「あんなやつの言うこと、関係ない」「何も知らないくせに、よく言うよ」「ああ、やだやだ」くらいのうっぷん晴らしでやり過ごせるのだ。

しかし、娘は違う。相手の言葉を自分自身に対する全否定ととらえる。認めてくれる人の存在など眼中になくなる。思考が極端なのだ。1か100か、黒か白かしか、ない。たったひとつの「黒」を全体としてとらえ、自分の敵であるとみなし、暴れ、罵詈雑言を連ねる。その罵詈雑言は、本人に向けられるのではない。浴びるのは、わたしだ。しかも、言葉はループする。同じことを何度も何度も繰り返し、ぶつけてくる。これね、けっこうしんどいよ。「自分のことじゃない」とわかっていても、ひどい言葉を浴び続けると、どんどん気持ちが沈んでくる。でもね。娘の側からすると「吐き出さなければ、死ぬしかない」になるんだよね…。死ぬって、自分の感情を押し殺すというような感じかな。10年ほど前かな、感情をおもてに出さず、ウツのようになったこともあった娘。そのことを思うと、感情を出すことは、大事なことでもある。要は、どのように自分の感情に対処するかってことになるのだけれど。

年末からのこの状況は、少し尾を引いた。ここしばらくは、荒れてももう少し冷静に対応できるようになってきたのだけれど、ちょっと引きずった。やはり、そういうこともあるんだな…というのが、今の正直な気持ち。

ただ、自分自身の反省点もあるので、そのことは記しておきたいなと思う。

ひとつは、娘の感情に巻き込まれてしまうこと。どうにかしなきゃ、冷静になってもらわなきゃと思うあまり、余計なことを口走ったり、娘の神経を逆なでしてしまったりする。これ、頭ではわかっているのに。「説明したら、わかってくれるんじゃないか、冷静になれるんじゃないか」って思ってしまうのだ。けれど、桁外れに怒っているときには、どんな言葉も届かない。言葉を届ける前に、何はともあれ傷ついた娘の心に寄り添わなければならないのだ。

娘の態度の中から理解できることを見つける→その気持に寄り添う(承認)

ここを焦ってはならないということを、新年早々再認識。何があっても、どんとかまえていられるようになるには、まだまだ修行が必要だな。でも、あきらめたくないんだな。だって、娘もちゃんと変わってはきているんだもの。

桁外れの怒りは、娘にとっても苦しい。そこに目を向けていこう…という覚書。