たぬきづき

月夜野たぬこ(書き人)の日々の気づきやら思いやら

これまでを振り返ってみる その1

龍さんに見えた空

この機会に、娘とのこれまでを振り返って、自分の気持ちを整理してみようと思い立つ。思い立ったはよいものの、どうなるかはナゾだが、とりあえず書いてみよう。

娘は、子どものころから、こだわりは強かった。つまり、今に至る原型は、あったのだ。あったのだけれど、当時はBPDとかASDとかいう概念や分類はなかったし(あったのかもしれないのだが、少なくとも今のように認知はされていなかった)、「ホント、頑固な子だなあ」というくらいにしかとらえていなかった。そういえば、「がん子」って呼んだりしていたっけ。(遠い目)
と書きつつ、思い出した。小学校3年生だか4年生だかのころ、精神科にかかったことがある。国立の大きな病院で、児童を対象としていた。特に顕著な訴えがあったわけではないのだが、本人に言葉にできない違和感があったようで……。紹介状をとって、出向いた。
そこで実施したひと通りの検査では、特に目立った異常は見られなかった。もっと重度の子どもが多かったから、そういう意味では、まったく普通の子だったと思う。思うけれど、そのときに、例えばASDやBPDの傾向というのは、みてとれなかったのだろうか…と、ふと思うことがある。
うんでも、そこまで望むのは無理だったかもしれないな。それに、国立の病院は研究機関としての役割もあるから、娘のように、大きな障害が出ていない子には、あまり関心がないようだった。暗にそのようなことも言われたし、それで通うのをやめたんだし。


それはさておき、娘が持っていた頑固さや違和感は、学校生活では自分を苦しめる原因となった。そしてわたしは、その娘の状況を、ASDやBPDのような特徴を持つ「個性」というより、「考え方の問題」ととらえていた。考え方を変えていけば、対処できるものだと思っていた。その点は、今も娘に申し訳なかったと思う。

学校生活に話を戻すと、どうしたって日本の小学校、中学校、高校あたりまでは協調性が重視されるし、その協調性も「強いものに巻かれろ」だったり、「なあなあ」だったり。特に女子の世界は、ある意味、残酷だ。家庭で通用する頑固さは、学校では通用しない……。通用しないと、弱気になる。弱気になれば、つけこまれる……という図式が当てはまるかどうかはわからないけれど、小学校高学年のころから娘は、目立つ女子のターゲットとされるようになった。この言葉は本当に嫌いで使いたくないのだけれど、大きな言葉でくくれば「いじめ」だ。

娘は、あまり具体的なことは語らなかったけれど。うまく仲間に入れていない様子は、感じ取れる。そして……最近になって聞かせてくれた当時の様子は、言葉にはしがたい衝撃だった。身を切り裂かれるようなという表現も、大げさではなく。ひとりで、そんな状況を耐えていたのかと思うと、娘を抱きしめたくなると同時に、相手への強い怒りもわいてくる。
本当にわたしは、何もわかっていなかった。わかっていないくせに、どうにかして娘を変えようと、もがいていた。
そしたら、娘だって苦しくなるよね、なって当然だよね。


大学に入学してしばらく経ったころから、娘はそれまでにない体調の変化を訴えるようになった。今に至る体調不良の始まりであり、嵐の幕開けといえば幕開けだった。(つづく)